当コーナーでも何度か書きましたが、『論語』の有名な言葉「信なくば立たず」。国家も企業も個人も、信用・信頼を失ったら終りだ。落ちぶれても信用だけは守らねばならない、ということです。
株の仕事をしていると、たとえば勧めた株が意に反して値下がりすると、買った人から文句を言われます。では狙いどおり値上がりしたら、今度は私と反対のことをやっていた人から、「お前がラジオで余計なことを言うから大損した」と逆恨みされます。どちらにしても、私のような仕事は、何かしら批判や中傷は避けられません。それをいちいち相手にしていたら、こちらの身がもちません。
江戸時代の話ですが、今の東京都台東区谷中に南泉寺という禅寺を開いた、大愚という禅僧がいました。
ある時、この大愚和尚のもとに、某大名の妾だった2人の女性が、罪を犯して逃げ込んできました。あわれに思った大愚和尚は、この2人を尼僧にして逃がしてやりました。
ところが、世間にはこの話が曲解されて伝わり、「大愚は2人の美女を自分の愛人にした」というデマが広がってしまいました。この話が本山にも伝わって、とうとう「本山への出頭禁止」という処分を受ける羽目になったのです。
根も葉もない中傷、デマ話で処分を受けた大愚和尚は、怒って本山に出向いて真相を説明しようと旅立ちました。
その途中、「何をくよくよ北山しぐれ、思いなければ晴れてゆく」という馬子唄が聞こえてきて、大愚和尚はハッと悟りました。
「そうだ。雨がいずれ止むように、中傷も一時のことだ。いつとはなしに雨が止み晴れていくように消えるものだ。そんなことにこだわり、弁明のために時間を費やすよりも、本来やるべき使命のために道を進むべきだ」
そう考えて、本山がある京都の手前で江戸に引き返したのです。
中傷や批判を一時的なものとして消していくには、その人に信用・信頼という徳が備わっていなければなりません。「あいつならやりかねない」と思われていては、いくら弁明しても信じてもらえないでしょう。
最近も、電車内で痴漢をしたと疑いをかけられ逮捕された男性が、「絶対にそんなことをするような人間ではない」という、家族や勤務先の支援を受けて裁判を戦い抜き、ついに無罪を勝ちとったというニュースがありました。どんな状況に陥っても支えてくれる人たちがいるというのは、まさに信用・信頼されているからで、人間として最も大事な無形の財産です。
もちろん私も、仕事柄、中傷や批判は常にあるので、それにこだわらず、本来なすべきことに神経を集中し、信用・信頼を失わないようにと、自分を戒めています。不徳のわが身ですから、人間修養の道に終わりはありません。
